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​コラム

Column

本分科会の達成目標である①国内外の人的ネットワーク強化、②都市開発分野の人材育成・能力強化に沿うテーマでの執筆をいただいています。企画委員の皆様の最新の取り組みの紹介や交流のある国の都市開発分野の動向、参加した都市開発分野のイベント紹介など日本の都市計画の知見を広めることを目的としています。

第二回コラム
Second Column

都市開発分野における国際協力
-土地区画整理事業(Land Readjustment Project)の国際展開-

 

2024/07/17

岸井隆幸

(一財)計量計画研究所 代表理事

 

KISHII Takayuki

President

The Institute of Behavioral Sciences

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コラム第2回目は本分科会代表を仰せつかっている岸井が担当いたします。

私は現在(一財)計量計画研究所の代表理事を務めていますが、直前30年間は日本大学で都市計画を教え、その前の15年間は政府公務員として都市計画制度設計に関わってきました。この間様々な国際関係業務にも関与しましたが、今回は「土地区画整理事業(以下、区画整理)の国際展開」についてご紹介したいと思います。

日本に初めて近代的な都市計画法が生まれたのは今から105年前の1919年のことですが、この都市計画法では用途地域制度と区画整理の導入がその柱でした。とくに後者の区画整理は「都市計画の母」とも呼ばれるように、その後現在まで日本の都市整備の中核を担っている事業手法です。基本的には「農村部で行われていた耕地整理事業を都市部に適用する」というような仕組みで「用地買収で権利者を追い出すことなく」・「権利者が参加して」・「事業によって生み出される開発利益を利用しながら」・「面的な市街地整備を実現する」スキームとなっています。1923年に起きた関東大震災の復興にも活用され、第2次世界大戦の後も戦災復興のために全国各地で活用されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真-1 戦災復興区画整理で生み出された緑豊かな広幅員道路(仙台市)

 

この区画整理に国際的関心が寄せられたのは、世界銀行の調査団が韓国や台湾で行われていた事業を見て「この事業手法は発展途上国に有効である」と報告したことに始まります。調査団報告を受けて1979年区画整理に関する初めての国際会議が台北で行われました。日本もオブザーバーとして参加しましたが、実は韓国や台湾で行われていた事業手法は占領時に日本が持ち込んだものでした。

この会議後、日本の区画整理をより積極的に国際社会に発信すべきであるという機運が高まり、区画整理に関する国際会議がフィリピン、マレーシア、タイ、インドネシア、アメリカ、スウェーデン、東京、名古屋、神戸、大阪などで開催されました。1983年には区画整理技術を中心に据えたJICAの集団研修「都市整備コース」も開設されています。

こうした中、1992年タイで区画整理推進の閣議決定がなされ1995年には区画整理法案が決定されました。その後アジア経済危機(1997年)もあって停滞を余儀なくされましたが、2001年再度法案の審議が始まり、2004年12月26日区画整理法として決定公布され、今日ではタイ国各地で事業が展開されています。

わが国で独自の発展を遂げてきた都市開発制度が初めて他の国に移転されたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図-1 タイ国で実施された区画整理(YARA地区、54ha)

 

こうした区画整理技術移転はJICAから派遣された長期専門家の皆さんをはじめとする様々な方の努力が実を結んだもので、タイ国のほか南米コロンビアでも類似の事業手法が展開されるようになりました。2011年にはケニアにある国連組織HABITATが区画整理に関する専門家会議を開催するなどその後も区画整理を巡る動きは広がりを見せ、近年ではブラジル・クリチバ市がこの手法に着目し、是非、クリチバでも実践したいと日本との意見交換を求めてきています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真-2 2011年 ナイロビで行われた区画整理専門家会議

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真-3 HABITATが作成した区画整理のパンフレット

 

日本で初めて都市計画法が生まれた頃、わが国は「基盤が十分に整わない中、急激な都市人口の増加をどう受け止めるか」という課題を抱えていました。事実、法制定翌年の1920年時点の首都圏(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)の人口は僅か768万人でしたが、100年後の2020年には3,691万人と4.8倍に膨らんでいます。1920年当時の我が国総人口は5,596万人で、現在のケニア、ミャンマー、コロンビアといった国々に匹敵しますが、それぞれの国の主要都市圏の人口を見るとすでに当時の東京を上回る水準となっているようです。より厳しい条件におかれていると言えるかもしれません。

都市人口の急増にどう対処するか、当然のことながらそれぞれの国の文化や土地を巡る法制度、基盤施設の整備水準等は異なるため、都市計画の対応、特に事業手法が全く同じものになることはありません。先を行く国で有効に働いているポイントを的確に把握して、それぞれの国で工夫をして地域の条件に即した形で受け止め、発展させることが必要です。

今後もお互いに他国の制度の特徴・優れている点を学びあい、次の時代にふさわしい新しい制度・手法が各地に生まれることを期待したいと思います。

 

(以上)

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